2005年10月10日
僕が一番英語が出来た頃
とある映画で、主人公の青年が何度も言う。
「僕はもう何でも知っているほど若くは無いんだ」
そのせりふを聞いた周りの大人達は
「『何でも知っているほど歳を取ってはいない』だろう」
と訂正するが、その度に青年はもどかしくて死にそうになる。自分の真意が伝わっていないのだ…
という内容の文章を見つけたのはアイザックアシモフの科学エッセイだったような気がする。つまり、若い頃にはあまりに周りが見えず、世間が狭いために自分が何でも知っているような気がするが、年を重ねて視野が広がると、自分の知識が如何に限られているかがよく分かるという話だ。
そういう観点から、僕が一番英語が出来たのは大学院生の頃である。学会発表で生まれて初めて他人のお金で飛行機に乗り、一緒にくっつけた旅行とその準備が殆ど初めての「知らない外国人と英語で話す」経験だった。英語での電話、ホテルのチェックイン、飛行機のチェックイン、タクシーに乗ったり、船のチケットを買ったり。全てが思いのほかスムーズに運び、自分は実は英語が出来たのか、英語が出来るってこういうことか、すげーな俺、と思ったものだった。
その後、会社に入り、アメリカ人の英語の発表を聞き、期待したほど理解できないことにショックを受ける。しばらくしてアメリカ駐在が決まり、ミーティングのあらすじを追うのに苦労し、その晩から悲壮感を漂わせながらテレビにかじりつく。まあまあテレビが理解できるようになったかなと思ったところでスタンドアップコメディアンのショーを見てショックを受ける。会社で技術的な議論がまあまあ出来るようになったなとほくそ笑んだ翌日に、初めて行く床屋でものすごく緊張したり、在住数年の頃に余裕綽々で初めて行った歯医者で色々と苦労したり。
英語勉強中の人たちから憧れられるようなTOEICの点数は取っているものの、自分の中での「これぐらい出来るといいなあ」のレベルと実際のレベルにはかなりの差がある。自分の英語能力の上達よりも速いスピードで自分の目標基準が上がってきており、今後ずっと目標に実力が届くことは無いのかもしれない。アメリカに住んでいるのだから、ということで満遍なくレベルを上げようとしているうちは、この現象は恐らく避けられないのだろう。
という自分の経験に照らし合わせるに、梅田さんの「Web 2.0時代を生きる英語嫌いの若い人たちへの英語勉強法:親切バージョン」に深く得心した次第。旗色が悪い時に戦線を拡大するのは得策ではない。「選択と集中」が大事である。
そういえば、以前に友人に相談をされた時にも似たようなアドバイスをしたことがあった。彼が会社を去ってから音信が途絶えてしまったが、今は日本に住んでいるらしい。おそらく、彼も僕と同じように戦線を拡大して苦労しているのだろう。
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ああ〜、とってもよく分かります。
私も大学生の頃にアメリカ一人旅をして英語に苦しみ、それなりに(笑)勉強して次にイギリス一人旅をした時は、「おおー、英語が出来るようになってる!旅行がスムーズ♪」と思いました。
しかし今はもっと出来るようになっているはず??なのに、あの頃より全然出来ない気分です。
本当に英語が出来る人は、出来るなんて思わないものなんでしょうね。
「僕はもう何でも知っているほど若くは無いんだ」
ああ〜、これが分かる年齢になっちゃったんですねえ。
週に1回の英語トークのプライベートレッスンが結構楽しくてしょうがない私としては、気持ちがわかるほどの経験レベルに達していないので、なんとも言えないのですが・・・・
英語に関わらず、知らないことや未経験って、結構楽しくないですか?
まあ、確かに、自分の専門分野で、「こんな初歩的なことを知らないなんて!!」というときには、愕然とするときもありますけど・・・・
うお!原麻さん、前世紀から日記を拝見しております。
まあ、「出来る」が当たり前になるといちいち喜びませんから、仕方ないのかもしれません。今の姿を昔の自分に見せれば驚いてくれるとは思うので、時々それを心の栄養にしていこうかと。
めもめもさん、
未経験なことは楽しいですよ。そこは同じだと思います。
ただ、英語の一分野で上達して「自分は英語出来る」と思った状態で別の分野に行くといきなり失敗してびっくり、ということもまたあるのです。
だから苦しいとか辛いとかいう意味ではなくて、面白い現象だな、というわけです。