2000年09月04日
ああ、とても誇りに思うよ
今年の夏休みはワシントンDCに行ってきた。前からずっとやりたいと思っていた博物館巡りのための旅行だ。1週間滞在していれば十分に堪能することが出来るだろうと思っていたが、いざ行ってみると1週間ではまだまだ足りなかった。
1週間の成果は、2つの博物館をじっくり、1つの博物館を少々駆け足、2つを駆け足で。ここで言う「じっくり」は1つの建物を1日半以上かけて見て回ること、「少々駆け足」は1日で見ること。2人以上で行った時に「じっくり」をやるには相手の多大な協力が必要になる。なかなか難しい問題だなあ、これは。
じっくり見たのは、航空宇宙博物館とホロコースト記念博物館。ホロコーストの方は国立の博物館で、スミソニアン博物館ではないらしい。アメリカ国民の税金を使って建てられた博物館がナチスドイツのホロコーストメモリアルだというのは少々不思議な気持ちがするが、中身は非常に充実していた。
建物は地下1階から地上4階まであり、主だった展示は4階から2階まで。エレベーターで4階まで上がり、各階順番に下がりながら展示を見る。4階はナチスドイツが実権を握るまで、3階はホロコースト、2階は終戦(ホロコーストからの解放)とその後。当時の写真とビデオ映像をふんだんに用いた展示がほぼ時系列に並んでいる。
まず4階の展示を見て、やはり自分の経済状況が悪いと責任転嫁の為に他民族排斥(またはナショナリズム)が起こるのかなあ、とかヒトラーの演説の映像を少し見るだけでそのカリスマ性は明らかだよなあ、とかヒトラーのパレードに参列してナチスの旗を振っている人たちの表情は、アメリカ大統領選前の党大会参加者の顔とあまり変わらんよなあ、ついでに十数年前に土井たか子率いる社会党が大躍進したときの支持者たちもあんな雰囲気だったよなあ、などと僕は思っていた。つまり、誰かがみんなを1つの方向に誘導しようとして、それが巧みに行われさえすれば、民意(または自分の意思)なんてものは簡単に変わっていくのではないかなあ、と言うことだ。ヒトラーの力強い目と非常に巧い演説は真似するのはなかなか難しいだろうが、周りで盛りあがっている人たちは別に特別な民衆というわけではないと思う。
そして3階。展示内容が厳しい。ガス室の模型、人体実験の犠牲者のビデオ映像。特に残酷な内容のビデオモニタは高さ1メートルぐらいの壁の向こう側に隠されていて、壁の上から覗き込むようにしないと見られない。小さい子供が見られないようにするためだろう。映像は全て白黒だが、ひたすら気持ち悪い。こういう残酷なものを毎日目にする生活に、ガス室を管理するナチス側の人々はどれぐらいで慣れたのだろう。3日?1週間?
2階。主にアメリカ、ソビエト、イギリスの軍が多くのコンセントレーションキャンプからユダヤ人を救出した。そして連合軍がドイツを破り、ドイツの指導者たちが戦争裁判を受ける。それぞれの軍が見つけた大量の死体の映像は、僕にとっては最も強烈な映像だった。しかし同時に、それらの映像を見ることに自分は急速に慣れていっていることに違和感を覚えた。実は自分はそういうものを見る環境にはあっさりと適応できてしまうのではないか?
さらに気がついたことがある。多くの事実を抑えた調子で淡々と並べた3階、4階の展示とどうも感じが違うのだ。2階には「悪の塊であるナチスドイツを、アメリカが打ち砕いてユダヤ人を救った」というメッセージが散見される。つまりは、結局最後にはアメリカへの愛国心に繋がる話なのか?
常設展を全て見終わってから1階に戻ると、比較的広いスペースを使って、多くの旗が飾られていた。「数多くのコンセントレーションキャンプのユダヤ人を解放したアメリカ軍師団の旗」だそうだ。これにはかなり脱力。
間違いを繰り返さないためとか、子供たちへ現実を教えて教育するためなら、伝えるべきことは「ナチスは悪、アメリカは善」ではなく、全ての人が自分と違う人々への偏見を持ち得ることと、残虐行為に走る可能性があるということを認識した上で、それが起こらないように自分を監視する必要があると言うことを伝える必要があるんじゃないのか……と、博物館の意見箱に投書してみた。でもきっと展示に影響を与えることは無いんだろうな。
後日談。サンタローザに戻ってきてから、とある友人に「なんでアメリカの国立でナチスのホロコースト博物館なんだろね」と言ったら、即座に「アメリカのファイナンスはユダヤ人がコントロールしてるから」との答えが返ってきた。なるほど。
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