1999年10月12日
いや大したことないって
最近、いろいろなところで、日本の英語教育についての話を見かける。読んでみると、「日本の英語教育は無意味である、もしくは間違っている」に始まり、主に改善策や不要論について語っている物が多いようだ。そこで、と言うわけでもないが、僕はこの部分に疑問を抱いてみたい。僕は学校での英語だけの下地を使って、アメリカに来て仕事をして暮らしている。日本の英語教育は本当に役に立たないのか?
どこの調査結果を見たわけでもないが、ざっと人数が多そうな順番に、日本人が英語を使う場面を挙げてみると、
(1) 海外旅行に行ったときの会話
(2) 大学や会社に入って、仕事や研究に必要な読書や論文読み
(3) ビジネスでの折衝、交渉、意思伝達
(4) 英語圏に住んで生活するのに必要な意思伝達
といったところだろうか。
英語の教科書の内容は世代によってずいぶん変わっていると思うので、一概には言えないと思うが、僕が受けた授業の記憶ではこんな感じになっている。
中学の授業は "This is Japan. This is America." に始まって、家族の紹介だとか、隣の友達の犬が可愛いとか、お店での買い物だとか、手紙の書き方とか。ごく簡単な(4)も含まれたかもしれないが、主に(1)を指向していたと言えそうだ。高校では文法、読解、作文の3種類があって、(2)に対応している。この頃の知識なしでは、大学に入ってからの論文読みや、会社に入ってからの技術書の読解や電子メールのやり取りはかなり難しいはずだ。そして大学、少なくとも総合大学では授業の選択にかなり自由度があり、(1)から(4)まで対応したさまざまな授業があった。僕も教養部(ああ、懐かしい)の2年間に、退屈な読解から授業中英語しか使えない文法までさまざまなタイプの授業を受けたし、卒業には関係ない自由聴講の英会話も取ったなあ。ビジネス会話の授業は見あたらなかったけど。
さて、そこで疑問に思うのはどれぐらいの日本人がどれぐらいの英語能力を必要としているか。つまり、学校教育の英語はどれぐらいの人の要求を満たしているか。
多くの人が経験する海外旅行では、高校までの英語で十分だろう。中学まででもいいかも知れない。観光地の人は外国人の英語に馴れているし、レストランでもちょっと困りはしても何も食べられなくなるわけではない。少し余計に単語は知っていた方がいいだろうけど。
論文や本を英語で読む必要のある人やビジネスで電子メールなどのやり取りをする人となるとぐっと減るだろう。しかし、これでも高校までの文法知識と辞書があればほとんど読めるし、書ける。大学受験の長文よりも難しい文章を読む機会なんてなかなかあるものではない。良く考えると、これはすごい事だと思う。
ビジネスでの電話や込み入った交渉となると、さすがに難しい。英語圏で生活する時の会話も、学校で習っていないものが多く出てきて苦労しそうだ。さすがにここまでは学校ではカバーされていないと認めざるを得ないだろう。しかし、ここまで必要な人はどれぐらいいるのか?乱暴に言って、5%いるだろうか?いやいないだろう。反語。よって、そこまで一般的な学校教育でカバーする必要は無いだろう。
こう考えると、乱暴に言ってしまえば、学校の英語で必要なものは網羅されているとも言える。多くの人が指摘する「使える英語」のために必要なポイント、聞き取りと会話の実践練習を除けば。
学校での英語をしっかり勉強していて、多くの知識を持っている人は「知っているのに話せない」という事でストレスを感じる事もあるだろう。が、これは逆に面白い事であるとも言える。ほとんど何も話せない状態から、何かしらのトレーニングを積んで、ある程度簡単に言葉が出てくるようになる(基本文型が口から出てくるようになる)と、度胸さえあれば突然難しい話が出来るようになるのだ。自分で自分に驚き、自分には才能あったのかも知れないなんて思ってしまう。これは、かなり気分がいい。
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