1999年05月10日
な、わかってるだろ
この前の話について、とある人からメールが来た。支払いの前に袋を開けて商品を食べ始めるのはあまり良くないのでは、と言う話。「お店で物を買うという行為は、お互いに確認した上で成り立つ話だ。もしポテトチップを開けて食べている客が、レジで『これは元々俺のものだ』と言いだしたら、そうであること・無いことをどうやって証明できるのか?そういうトラブルを避けるために、紛らわしいことをせずに支払うまで待った方がいいのではないか?」と。その話を読んで、「証明できない」例をいくつか考えてみた。
ある客が、他の店で買ったポテトチップを手に持ってスーパーに入る。いろいろ買い物をして、カートいっぱいに商品を入れてレジに来て、「このポテトチップだけはもともと僕のだから、これは清算しないで」と言う。彼は正しい。けど、これは証明が難しそうだ。こんなことをする人はそうはいないだろうけど、袋を開ける開けないは紛らわしさには関係なさそうだ。
さらに思い付いたことがある。客が、商品を持ってレジに来る。店内はまあまあ空いていて、店員と客の周りには人がいない。店員が言う。
「ちょうど5ドルです」
客、5ドル札を差し出す。店員は受け取って、自分のポケットに入れる。そして、しばしの沈黙。おもむろに店員は言う。
「ちょうど5ドルです。早く払ってください」
客はどうすれば支払ったことを証明できるのだろう。
商品とお金を交換する。いつもの生活では、売買という概念は非常に明らかなものにみえる。しかしそれさえも、ある程度相手を信用する、相手が嘘をつかない(または物を受け取ったことを瞬時に忘れたりしない)という前提の上に成り立っている。社会の中で人間同士が行うことは多かれ少なかれ「相手は信用できる、常識を持っている」という前提の上に成り立っており、その前提が崩れた場合のフェイルセーフは実は存在しない場合がほとんどではないだろうか。そして、その前提を崩すのが難しいように構築されたシステムが堅牢なシステム、ということになるのではないだろうか。
アメリカのレストランで食事した場合、日本とは違い、支払いはキャッシャーでは行わない。カードで払う場合はレシートにチップの額とサインを書いて、テーブルの上に置いて店を出て行く。現金の場合はそのまま机の上に置く。店を出てしばらくするまで誰も確認しない。「きちんと支払ってくれるはずだ」という前提に基づいた、日本に比べて破ることが簡単なシステムである。
「アメリカは契約社会で、非常に細かいことまで明文化して契約を取り交わす」と言う話をよく聞く。実際にどちらかに大きな損害が起こる可能性がある場合は、その通りなのだろう。理屈と証拠で固められた息苦しい社会のように聞こえてしまうが、実際に生活してみると、簡単にごまかせてしまうような緩い(いいかげんな)システムがいろいろなところにあることに気づく。今のところ、「いいかげん」から「四角四面」までのダイナミックレンジが広い社会である、という印象を持っている(平均値は日本に比べて「いいかげん」の方に寄っている)。相手はきちんとやってくれるはずだという「前提」に多くを期待したシステムが日常生活に多くあるということは、そのレベルにおいては『お行儀の良い国』であるのだ、という解釈も出来るかもしれない。と、これはメールの人が言っていたことだった。
それからもう1つ、「支払いの前に食べるのは良くない場合」を教えてもらった。カードで支払おうと思っていて、そのカードが使用停止になっていた場合。
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